「目的なし勉強の楽しさ」(福翁自伝)を知った。
今日の積み上げ
昨日ブログで「経営層と現場(MLエンジニア、データサイエンティスト、ドメインエキスパートなど)の橋渡し役として立ち回れる人」の話を書きましたが、まさにそのことを発信しているブログ記事を発見!(なんてタイムリーな!!)
記事では、レイクハウスを「DWHとデータレイクの長所を組み合わせた新たなデータプラットフォーム」として紹介した上で、データエンジニア、データサイエンティストそしてビジネスアナリストがコラボレーションしやすくなり、結果として円滑なプロジェクト推進が可能になるとしています。
最先端の現場を支えるプラットフォームも着々と進化しているってことですね。
ちなみに、記事中の登場人物の役割は以下のようになっています。
こういう人達が普段現場でどんな会話をしているのか、すごく興味あります。
YouTubeで何かいい動画があったら見てみたい。
その他
いまDSL輪読会で慶應大生と交流していますが、慶應の生みの親である福沢諭吉の自伝「福翁自伝」の中ですごく共感したフレーズに出会いました。
(かなり衝撃だったので、ツイートしたい気持ちを抑えきれなかった)
「何のために勉強してるのか?」
— がじゅまるの苗🌱 (@GajumaruSDGs) 2023年2月17日
「ただただ勉強することが楽しかったから」
(福沢諭吉の自伝「福翁自伝」より)
いまは機械学習・Pythonが面白くて、ハマってます!😆
暮らしと学問 5 目的なしの勉強の楽しさ|氏家 法雄 ujike.norio @ujikenorio #note #推薦図書 https://t.co/W7W15alnuy
「目的なし」というのが、個人的には刺さりました。
この言葉の捉え方は人それぞれあると思いますが、自分の場合だと、心の底からやってて楽しいと思えることなのか、そうじゃなくて、何か別の目的・理由があってやってることなのか、の違いだと捉えています。
これまでの自分の経験上、後者のパターンは長続きした試しがありません。
だいたい、途中で挫折して、気持ち・やる気がフェードアウトしてしまうというのが定番コースでした。
そして、そんな自分にダメ出しするときもあったり。
これはもう最悪です。
要は、好きか、嫌いか。
楽しいか、楽しくないか、その違いでしかないんですが、この違いがめちゃくちゃ大きいんです。
いま、50代になって思うのは、好き、楽しい、面白いと感じる心に素直になった方が物事がうまくいく確率が高いんじゃないか、ってこと。
先週のデブサミでも、好奇心駆動開発と称して、やはり「楽しさ」というワードをど真ん中においてやっていくのが最高の原動力になる、という話がありましたが、まさにその通りだと強く共感しました。
(先週のデブサミで個人的にはベストスピーカー賞をあげたいと思うぐらい素晴らしかったセッション。本日登壇原稿を入手できたので、1枚だけご紹介させてもらいます)
このブログを読まれている方で、「いまやってること、そんなに楽しいって思えないんだよなぁ」と感じられている人もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、仕事なんて皆が皆楽しんでやってるわけではないと思います。
仕事、という日常の一断面だけを捉えて話をしてしまうと曲解されてしまいそうですが、仕事を含めた日常生活(1日24時間)の中で「楽しい」と思えることがあればいいんじゃないか、と個人的には思っています。
(仕事が楽しいと思えれば、もっと最高!!)
50代になっても、全然楽しんでいけますので、素直な心でLet’s keep going!!
See you later.