毎朝の日課になっている安斎さんのVoicy視聴。
今日は記念すべき第100回目の放送ということで、どんな話をされるのか楽しみにしていました。
放送の中で、安斎さんがVoicyを始めるきっかけになった人として荒木博行さんの話をされています。
私は荒木さんがどういう方なのか、全く存じ上げていなかったのですが、調べてみてビックリしました。2018年からVoicyを始めて以来、5年以上も毎日放送を欠かしていないそうです。(本当にすごい!)
荒木さんのVoicyチャンネルはこちらです。
安斎さんのVoicyと合わせて、これから毎朝拝聴させていただこうと思っています。
安斎さんの放送でも触れられていた荒木さんの著書「独学の地図」。
今日会社帰りに本屋に立ち寄って、ゲットしてきました。
「序文」のタイトルが、「学ぶことは生きること」と書かれているところから心を射抜かれました。
そのタイトルの意味合いは、序文の最後の書かれた次の文章で回収されます。
立派な場所で、立派な先生から教えを受けることだけが学びではありません。
他者が設計し、わかりやすくパッケージングされた学習プロセスをたどることでもない。
学びは、極めて日常的なこと。
私たちが生きることと同義なのです。
私自身、毎日積み上げ日記を書きながら、好奇心駆動で当てのない学びの旅をしていますが、時にはモヤモヤした思いを抱えてしまうこともあります。
「効率的な学習プロセスがあれば、そんな思いをしなくてもいいのに」「この旅をこのまま続けていいものだろうか」と。
この悩みについて、本書の「おわりに」で著者の見解が簡潔明瞭に次の一言で示されています。
「効率的な学びだけが全てではない」
この言葉の後に巧みな比喩表現(メタファー)を使いながら、「一直線に進むという速いか遅いかの強弱関係の価値基準で測られる世界って息苦しくねぇ?」と問います。(これは私の意訳が入っているので、本に書いてある言葉ではありません)
そして、その時に意味を持つのが「遊び」だと主張。
強弱の価値基準に乗らない「遊び」という第三の扉を開けてみる。
なるほど、「遊び」か、と思いました。
大事なことは、(中略)「遊び」という第三の扉は、あなたが何歳であっても見つけることができる、ということです。
まさに、自分がやってるのはこれだ!と思いました。
本業の傍らで、夢中になって学び続けられるのは、「遊び」が楽しすぎてやめられなくなってるから、なんだと。
昔、スマホゲームやオンラインゲームに何年ものめり込み、家族から「ゲーム中毒」と呆れられた過去もある私ですが、いまは新しい学びを発見する毎日を続けることが生きがいになってます。
ほんとに数年前のあの頃と比べると、人って変われるもんだなぁと我ながら思ったりもします。
まだ、「序文」と「おわりに」を読んでだけですが、自分の人生を肯定してくれるような文章に触れて、励まされた思いがしてなりません。
安斎さんの100回記念の放送回でとても素敵なプレゼントをいただけたような気がして、嬉しい気持ちになりました。
安斎さん、荒木さんに感謝です。ありがとうございます。