前回に引き続き、今回は第7章の内容に触れていきたいと思います。
前回はこちらからどうぞ。↓↓↓
本書の目次は以下の通りとなっています。
【目次】
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む
第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む
第6章 対話を阻む5つの罠
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
ナラティヴの限界。
それは、違和感であり、苛立ちであり、居心地の悪さとなって表れる。
「もー、限界!」
他者の言動をきっかけに、心の中でプツンと何かが音を立てて切れるような感覚。
自分一人が孤立している状態でのこの経験は、かなり精神をやられます。
本書では、たとえそういう分かり合えない他人と思うような人であったとしても、自分がその人だったら同じように振舞ったり、感じたりするかもしれない、という可能性を受け入れましょう、と訴えています。
自身の精神が非常事態であるときに、こうした連帯の精神を発揮できるかどうか。
正直、かなり理想論を語っているようにも思えます。
ですが、ここがまさに紙一重の差なんだろう、と思います。
ある意味、自身の限界の殻を破るような、精神の変革を伴うことではないかと感じます。
そして、その変革の先には、「他者」というかけがえのない存在がいる。
ナラティヴの限界の先にあるのは、自分と他者との連帯の一歩を踏み出せるか否か、他者にどこまで寄り添えるかどうか、ということではないでしょうか。