50代アプリエンジニアの積み上げ日記

50代からの学び直しブログ

【読書メモ】他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論(4)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論

前回に引き続き、今回は第3章の内容に触れていきたいと思います。

前回はこちらからどうぞ。↓↓↓

 

gajumarusdgs.hatenablog.com

 

 

本書の目次は以下の通りとなっています。

 

【目次】

第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている

第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス

第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む

第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む

第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む

第6章 対話を阻む5つの罠

第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの

 

第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む

 

この章では、第2章で学んだナラティヴの溝を渡るプロセスの実践例として、「総論賛成・各論反対」の具体的な事例を交えて解説しています。

よくあるのが、トップダウンの圧力と既存事業との軋轢の間で板挟みになっているような状態。上の言うこともわかるんだけど、現場は厳しい状況に置かれていて、それどころじゃないんだよねー、みたいな話です。

 

対話を通して「新しい関係性」を築いていく(=ナラティヴの溝に橋を架ける)ポイントは、いったい何でしょうか?

 

第2章で学んだ通り、準備→観察→解釈→介入のプロセスを回していくわけですが、それぞれにポイントがあります。

 

1.準備

  • 自分のナラティヴを一度脇に置く

2.観察

  • 関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る

3.解釈

  • 相手にとって意味のある取り組み(=役に立つこと)は何かを考える

4.介入

  • 相手の見えていない問題(=潜在的な困り事)に取り組む

 

準備→観察をしっかり行うことはもちろん大事なことですが、解釈→介入のフェーズで何が相手の役に立つのか、何に潜在的に困っているのか、この2点をよく理解することが重要なポイントになります。

 

最後に

この章のコラム「自身のナラティヴの偏りと向き合うこと」ですごく印象に残った文章がありましたので、ご紹介して終わりたいと思います。

 

会社の中で何か新しい取り組みをはじめようと働きかけや提案したりしたとき、却下されてしまうことってありませんか?

私にも思い当たることがあります。でも、次の文章を読んでハッとさせられました。

 

自分が新しくやろうとすることが、一体どういう形で会社の事業に貢献するのかをしっかりと考えた上で、上の立場の人に働きかけることは、根本的に大切な点です。

(中略)

それを、どう事業に貢献するのかよく考えられていないものに対して、「会社が、上司が、強力してくれない」を会社を批判するような場面によく遭遇します。

きっと上司や会社の方針は偏って見えると思うのですが、一方で、上司から見れば自分が偏って見えているはずです。

 

そうなんです。

自分が会社や上司の見方がおかしいと思っているのと同様に、上司目線でも自分がおかしいと映っている、ということに気づいていないケースがある、ということなんです。

 

そしてこのコラムは次の言葉で締めくくられています。

 

自らの偏りを認め、対話を実践していくことは、惨めさをも受け入れながら、何かを生み出そうとするという大変偉大なことなのです。

 

対話をする上で、ひょっとして自分が偏った見方をしているかもしれない、と自分を客観視する視点を持ち合わせていること

そして、自分のナラティヴを一度脇に置きながら、相手のナラティヴの中で自分の役割を発見できない可能性も受け入れていくこと。(これを著者は惨めさと表現したものと解釈しました)

この一文、対話を実践していく人間を誇りある勇者のように称え、尊敬する著者の熱い思いが伝わってくるようで、なんとも味わい深いと思いませんか?

【読書メモ】他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論(3)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論

前回に引き続き、今回は第2章の内容に触れていきたいと思います。

前回はこちらからどうぞ。↓↓↓

gajumarusdgs.hatenablog.com

 

本書の目次は以下の通りとなっています。

 

【目次】

第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている

第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス

第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む

第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む

第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む

第6章 対話を阻む5つの罠

第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの

 

第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス

 

ナラティヴとはなんぞや、と思った方のために、おさらいしておきます。

ナラティヴとは、その語りを生み出す「解釈の枠組み」のことです。

対話の際に、なんか話がかみ合わない、言いたいことが伝わらない、ということがあるかもしれません。

しかし、私とあなたのどちらかのナラティヴが正しいということではなく、それぞれの立場におけるナラティヴがある、ということを第1章では学びました。

 

そして、この第2章では、ナラティヴの溝を渡る(橋を架ける)ためにはどうすればよいかが示されています。早速、見ていきましょう。

 

1.準備「溝に気づく」

  • 相手と自分のナラティヴに溝があることに気づく

2.観察「溝の向こうを眺める」

  • 相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラティヴを探る

3.解釈「溝を渡り、橋を設計する」

  • 溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所や架け方を探る

4.介入「溝に橋を架ける」

  • 実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く

 

準備→観察→解釈→介入、このプロセスで溝を埋めていく、ということです。

逆に言えば、上手に橋を架けるためには、正しい解釈ができていないとまずい、ということです。

そして、正しい解釈をするためには、正しい観察が行えている必要があります。

また、正しい観察をするためには、ぼーっと眺めていてもしょうがないわけで、どこを重点的に眺めるのか、問題箇所(溝)を認識しないといけません。

 

つまり、最初の準備段階がすごく重要ってことです。

相手のナラティヴを少し受け入れてみること、ここが出発点になります。

少し受け入れるために、自分のナラティヴを少し脇に置いておいてみる、こういう姿勢が重要になってきます。

 

まとめ

ナラティヴの溝を渡る(橋を架ける)とは、自分のナラティヴを一度脇に置いて、観察→解釈→介入を地道に回していくこと、と言えます。

そして、様々な観点から見て、対話をすることが有用、かつ、実現性が高い取り組みとなります。

 

次は実践編の内容を書いていこうと思います。

【自転車】北海道旅行プランニング記(1)

突然ですが、今夏、北海道自転車旅に出かけようと考えています。

 

「えっ、ほんとに!?なぜ??」

 

そう思われるのも当然だろうと思います。

 

実は、いまから30年以上もこの計画を胸のうちで温めに温めていました。

 

ふりかえると、その発端は大学1回生の頃にさかのぼります。

当時、私はユースホステル研究会というサークルに所属し、仲間と日本全国のユースホステルに泊まり歩くことを楽しんでいました。

大学生となり、初めての夏休みを迎え、私は仲間と北海道を旅することにしました。

舞鶴からフェリーに乗り、小樽まで行き、そこからは公共交通機関を利用する旅でした。(この時は利尻島がメインの行先でした)

他の仲間も自家用車や自転車で北海道を目指しました。

なかでも、自転車で北海道を1か月かけて周遊された先輩の印象が強烈に残りました。

決してマッチョ系ではなく、細身の至って普通な感じの先輩でしたが、目をキラキラさせながら嬉しそうに旅の模様を語る姿が忘れられません。

そう、私が北海道自転車旅をやってみたい、と思ったのは、間違いなくその先輩の影響によるものです。

 

あれから30年以上の月日が流れましたが、いまようやくその実現に向けて本気で動こうと思い立つに至ったのには理由があります。

 

それは、息子が「北海道自転車旅をしたい」と言い出したからです。

 

おいおい、なぜ息子が突然そんなこと言い出すんだよ。おかしくないか?

 

そうですよね。そう思いますよね。

もちろん、ちゃんと伏線があるんです。

何年も前から、「北海道自転車旅行こうな」「それがお父さんの夢なんだよ」と言って聞かせていました。

はじめは冗談半分に聞いてるだけでしたが、ようやく本人もその気になってくれ、自ら「一緒に行きたい」と言ってくれた、というわけです。

 

自分の乗ってたロードバイクのパーツを息子のロードバイクに移植した話を書きましたが、そうするに至ったのは、息子の周りに自転車ツーリングを楽しむお友達が突如現れたことがきっかけでした。

不思議なもので、そのお友達が息子を自転車に惹き合わせ、私の夢の実現も手助けしてくれようとしています。

gajumarusdgs.hatenablog.com

 

夢の実現に向けて、これから準備しなければならないことがたくさんあるのも事実で、そんなに簡単じゃないなぁと思っています。

 

言っても、息子はロードバイクに乗り始めたばかりの超初心者。

私も1500キロぐらい乗ってはいるものの、輪行経験やパンク修理など自転車旅に必要なスキルが備わっているわけではありません。

まずは、見知らぬ土地で自転車旅の道中、困ったことが起きても対処できる術を身につける、というのが必須課題です。

 

また、体力づくりも大事だと思っています。

特に、私は50代でもあり、気持ちは若いつもりでも、体は正直です。

先日の多摩川サイクリングでも、50キロ乗った後、数日間疲労が抜けきれず、とても辛い思いをしました。

寝れば回復する息子とは大違いです。

北海道自転車旅では、最低でも4~5泊はしたいと思っているので、連日数十キロ乗りこなしても大丈夫な体力は作っておきたいところです。

息子は息子なりに筋トレを頑張っているので、私も負けてはいられない、という気持ちになっています。

 

そして、その次がコースプランでしょうか。

これがプランニングの一番楽しいところだと思っています。

いまのところは、札幌~小樽~積丹半島あたりを考えていますが、天候の影響も考えた行程を組む必要があります。

 

その他にも次のようなことを決めたいと思っています。

  • 私が乗るロードバイクを買うのか、レンタルするのか
  • 自転車をどうやって現地まで運ぶか(フェリーか、陸送か)
  • 旅の荷物の総量把握と運搬方法(荷台に乗せるか、トレーラーで引くか)
  • www.cyclespot.net

 

これから約2ヶ月ぐらいかけてプランニングしていこうかな、と考えています。

決まった内容は不定期でアップしていこうかなと思っていますので、ご笑覧いただければ幸いです。

【読書メモ】他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論(2)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論

前回の(1)では「はじめに」「あとがき」に触れましたが、今回は第1章の内容に触れていきたいと思います。

 

本書の目次は以下の通りとなっています。

 

【目次】

第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている

第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス

第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む

第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む

第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む

第6章 対話を阻む5つの罠

第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの

 

第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている

 

この章では次の3つの内容が印象に残りました。

 

1つ目は、対話の概念として「私とそれ」の関係性と「私とあなた」の関係性についてです。

 

対話の概念

私とそれ」は、相手を自分の「道具」のようにとらえる関係性のこと。

システム開発の現場においても、ロボットのように指示命令される場面を何度か経験していますが、まさにこの関係性だなと思いました。

私とあなた」は、相手が私であってかもしれない、と思える関係性のこと。

相手の立場を慮れる関係と言い換えてもよいかもしれません。

そして、対話とは、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことを意味する、としています。(「はじめに」では、対話とは「新しい関係性を構築すること」と簡潔に定義しています)

この(端に向き合って、じっくり話をすることではない)対話を通じて、既存の知識や方法で関係できないような、関係性の中で生じる問題(これを適応課題と呼んでいます)を解決することを目指す、というのが本書のスタンスです。

 

2つ目は、適応課題の4類型についてです。

 

適応課題の4類型

①ギャップ型

  • 価値観と行動にギャップが生じるケース
  • 例)男女対等の社会参画

②対立型

  • お互いのコミットメントが対立するケース
  • 例)営業部門と○○部門との対立

③抑圧型

  • 言いにくいことを言わない(言えない、言ったもん負けになる)ケース
  • 例)先行き見通しが暗い事業の撤退提言

④回避型

  • 痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために、逃げたり別の行動にすり替えるケース
  • 例)メンタル疾患を抱える社員が出た際に行うストレス耐性トレーニン

 

3つ目は、ナラティヴというキーワードについてです。

 

ナラティヴとは

英語でnarrativeと言うと、「語り」「物語」と訳されます。

本書では、その語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと、と表現しています。

対話においては、その人が置かれた立場、役割、組織上の人間関係といったバックグラウンドがあって、その言動が生まれているんだと、その人のナラティヴを観察し、解釈することが重要になってきます。

ポイントは、私とあなた、どちらかのナラティヴが正しいということではなく、それぞれの立場におけるナラティヴがある、ということです。

そして、ナラティヴ・アプローチは、相手のナラティヴの解釈を試みるというアプローチのことであり、自分の側から相手に対話を働きかけるアプローチとも言えます。

 

なんとなく、伝わったでしょうか。

ナラティヴという専門用語が馴染みがなくてしっくりこないかもしれませんが、この後の章でも随所に登場するキーワードなので、しばらく辛抱してお付き合いいただければ幸いです。

なお、対話においては、お互いのナラティヴに溝があることに気づけるかどうか、これがポイントになってきます。(なかなか簡単なことではないですが。。)

 

第2章では、このナラティヴの溝をいかに埋めるか、そのプロセスについて書かれています。

明日以降、読書メモを残していこうと思っています。

頑張る中高年に光があたる時代。

本日の日経新聞に頑張っている中高年に光が当たるようなタイトルの記事が掲載されていました。

(リンク先はいずれも会員限定記事です)

 

www.nikkei.com


少子高齢化社会の進展と合わせて、ついに新卒採用のあり方も変わり目にきた、ということなのでしょう。

 

失われた30年と言われた時代に会社員として過ごしてきた私のような年代の者にとって、この転換点をチャンスと捉えられるかどうか。会社にしがみつく人生とするのか、新たなキャリア構築を目指すのか。私は50代でもまだまだ楽しめる時代になってきた、と捉えています。

 

そして、50代に希望を与える記事をもう1本、ご紹介します。

 

www.nikkei.com


部長という肩書きを外され、営業現場に戻されながらも、やりがいを見つけ出し、学び続けることで58歳にして自身がワクワクできる部署への異動を勝ち取った、というお話。

誰しもがマネできることではないかもしれません。

ですが、こういう事例が今後増えていくのではないか、という気もしています。

 

まだまだ50代、60代は元気に働ける年代。

いっしょに頑張っていきましょう!

【読書メモ】他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論(1)

組織開発に関する調べ物をする中で本書の存在を知り、手に取りました。

amzn.asia

 

本を読むときは、「はじめに」「おわりに」「目次」と目を通して、読みたい章を開く、というのが定番コース。

この本についても同じように読み始めたわけだが、「はじめに」を読んで、いきなり惹きつけられました。

と言うのも、いきなり著者の体験してきた壮絶なエピソードが語られていたから。

 

父はバブル期に銀行にそそのかされて株取引を行うことになり、その結果、とても大きな負債を負いました。私が大学院生のときにガンで他界したのですが、残された家族で父のバブルの「敗戦処理」を行うという大変苦しい経験をしました。多大な借金を返済し続ける最中、明日があるのだろうかと思うようなお金の修羅場を経験し、なんとかその問題を乗り越えて、今、こうして大学で研究者として生きています。

 

自分が同じ状況に置かれていたとしたら。。

考えただけでもゾッとしました。

 

なぜ、このようなエピソードを書いたのか。

実は、「おわりに」でも個人的な体験が語られているのですが、その理由をこう綴っています。

 

あとがきにこのような個人的なことを書いたのは、苦労自慢をしたいわけではありません。形を変えて、みな、様々な生きる苦しみを抱えているのが人間で、たまたまわかりやすい形で私はそれを経験しただけだと思っています。

 

この後、自分自身の辛かった経験を通して、「対話」という言葉の意味を刷新したいと思い、本書を書いたと言っています。そして、「対話に助けられて、今生きているのだと気がついた」とまで書いてます。

 

どれだけ心の葛藤があったことか。

お父様への恨みもあっただろうし、自身に対するプレッシャーも相当のものがあったと思います。実際、「死」をも意識したとも綴られている文章もありました。

 

その著者が「あとがき」で読者に伝えたいことが3つある、として次の言葉を書き残しています。

 

ひとつは、焦らずに、着実に歩みを進めてほしいということ。

もうひとつは、逆境の中でもへこたれずに対話に挑み続けてほしいということ。

そして、苦しみの中にある人に手を差し伸べてほしいということ。

 

この文章を読んだだけでも、本書は経営学者の書いた組織論ではありますが、人生いかに生きてほしいか、著者の熱いメッセージが詰まった一冊だと感じさせるに十分ではないかと思います。

 

明日以降も読み進めて、読書メモとして書き残していければと考えています。

キャリアコンピタンシーとは。

キャリア自律にちなんだキーワードとして「キャリアコンピタンシー」というものがある。

下記記事の文章を再構成したものにはなるが、紹介したい。

 

www.pro-bank.co.jp

 

キャリアコンピタンシーとは、「生き抜く力・人間力」。

どのような局面にあっても、成長し、生き抜き、自分のキャリアを構築し続けることのできる力のこと。

 

仕事をうまくやるスキル(記事の中ではプロフェッショナルスキルと表現されている)と、このキャリアコンピタンシーの両方のバランスをとって、自分がどういうキャリアを歩んでいきたいかを考えることが重要と説いている。

 

「そんなこと、言われなくてもわかってるよ」という声が聞こえてきそうな気もする。

ただ、わかっていてもなかなか難しいのは、この「どのような局面にあっても」というところではないだろうか。

 

せっかく身につけたスキルも時代とともに陳腐化するわけだが、そういう事態に陥ったとしても、新たな生き抜く道を見つけ出す力が必要になってくる。

また、役職者であれば、部下の失態、組織の軋轢などで窮地に追い込まれる場面もあるだろう。そうした時にどういう振る舞いができるか。まさに、人間力が問われる場面ではないだろうか。

いわゆる、「ピンチ」「逆境」のときこそ、その人の真価が問われるわけだ。

 

ちょうど今週のガイアの夜明けでも「逆境」がテーマとなっていたので、参考までに紹介しておく。

www.tv-tokyo.co.jp

 

再建を使命と捉え、なんとしてもやるんだ、という覚悟を垣間見た。

そして、損得を超越した何か(自分の人生をかける覚悟)がなければ到底成し得ない偉業だと感じた。

これはもはやキャリアという概念をも超越している気もした。

まさに、人生をかけた闘いと言ってもよいだろう。

そこまで人生をかけられるものに出会える人というのは、実は幸せ者なのかもしれない。