前回に引き続き、今回は第3章の内容に触れていきたいと思います。
前回はこちらからどうぞ。↓↓↓
本書の目次は以下の通りとなっています。
【目次】
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む
第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む
第6章 対話を阻む5つの罠
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
この章では、第2章で学んだナラティヴの溝を渡るプロセスの実践例として、「総論賛成・各論反対」の具体的な事例を交えて解説しています。
よくあるのが、トップダウンの圧力と既存事業との軋轢の間で板挟みになっているような状態。上の言うこともわかるんだけど、現場は厳しい状況に置かれていて、それどころじゃないんだよねー、みたいな話です。
対話を通して「新しい関係性」を築いていく(=ナラティヴの溝に橋を架ける)ポイントは、いったい何でしょうか?
第2章で学んだ通り、準備→観察→解釈→介入のプロセスを回していくわけですが、それぞれにポイントがあります。
1.準備
- 自分のナラティヴを一度脇に置く
2.観察
- 関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る
3.解釈
- 相手にとって意味のある取り組み(=役に立つこと)は何かを考える
4.介入
- 相手の見えていない問題(=潜在的な困り事)に取り組む
準備→観察をしっかり行うことはもちろん大事なことですが、解釈→介入のフェーズで何が相手の役に立つのか、何に潜在的に困っているのか、この2点をよく理解することが重要なポイントになります。
最後に
この章のコラム「自身のナラティヴの偏りと向き合うこと」ですごく印象に残った文章がありましたので、ご紹介して終わりたいと思います。
会社の中で何か新しい取り組みをはじめようと働きかけや提案したりしたとき、却下されてしまうことってありませんか?
私にも思い当たることがあります。でも、次の文章を読んでハッとさせられました。
自分が新しくやろうとすることが、一体どういう形で会社の事業に貢献するのかをしっかりと考えた上で、上の立場の人に働きかけることは、根本的に大切な点です。
(中略)
それを、どう事業に貢献するのかよく考えられていないものに対して、「会社が、上司が、強力してくれない」を会社を批判するような場面によく遭遇します。
きっと上司や会社の方針は偏って見えると思うのですが、一方で、上司から見れば自分が偏って見えているはずです。
そうなんです。
自分が会社や上司の見方がおかしいと思っているのと同様に、上司目線でも自分がおかしいと映っている、ということに気づいていないケースがある、ということなんです。
そしてこのコラムは次の言葉で締めくくられています。
自らの偏りを認め、対話を実践していくことは、惨めさをも受け入れながら、何かを生み出そうとするという大変偉大なことなのです。
対話をする上で、ひょっとして自分が偏った見方をしているかもしれない、と自分を客観視する視点を持ち合わせていること。
そして、自分のナラティヴを一度脇に置きながら、相手のナラティヴの中で自分の役割を発見できない可能性も受け入れていくこと。(これを著者は惨めさと表現したものと解釈しました)
この一文、対話を実践していく人間を誇りある勇者のように称え、尊敬する著者の熱い思いが伝わってくるようで、なんとも味わい深いと思いませんか?