50代ITエンジニアの積み上げ日記

50代からの学び直しブログ

【読書メモ】知的創造の条件:AI的思考を超えるヒント

読書のきっかけは、安斎さんのこちらのVoicy。

なかなかインパクトのある紹介だったので、読んでみたくなりました。

voicy.jp

 

https://amzn.asia/d/gZES692

 

「叩き潰されなくてはならない」と安斎さんが語っていた文章を引用します。

 

大学院生くらいになると、当人はかなり長い時間、自分のテーマについて資料を集めたり、考え続けたりしているので、しばしば自分の研究を過剰に抱え込んでしまうということが生じます。つまり、自分の考え方に凝り固まって、違う立場や違う関心の他者の視点から物事を考えることができなくなってしまうのです。そうなってしまうと、概して研究は行き詰ります。細かい穴埋めが多くなり、現在の自分の枠組みを壊してもっと新しい地平から物事を捉え直すことができなくなるからです。これでは、せっかく素材がよくても、そして本人が知的に賢くても、伸びるものも伸びなくなってしまいます。

この落とし穴から抜け出すためには、本人があまりにも馴染みすぎてしまった前提が、一度、叩き潰されなくてはいけません。自分が素晴らしい考えだと手応えを感じていた議論の筋立てが、一度、徹底的に批判されるべきなのです。自分の考えが相手には伝わらない経験をして、それでも相手を視界から排除するのではなく、そのような相手に伝わるようにするにはいったいどのような論の組み立てをしなければならないか、真剣に考えていくことが必要です。

 

この本は大学院生向けに書かれたのか、このような表現もあります。

大学院について情報収集している自分にとっては、面と向かって「そんな甘っちょろい考えだったら出直してこい!」とビシッと指導されたような気になりました。

 

昨今では大学院生でも、そもそも問いらしい問いを持っている人が減っています。みなさん、問いとは何かを考えもせず、私の研究は「~~を明らかにすることです」とか、「~~について興味があるので調べます」とか言います。そんなものは問いでも何でもなくて、単なる興味関心です。興味関心は問いではありません。この違いを知ることから研究が始まります。

 

この本のサブタイトルに「AI」の文字がありますが、レイ・カーツワイルが唱えた「2045年にシンギュラリティ(AIが人間の知能を超える技術的特異点)に達する」という予測を明確に否定しています。

ただ、考えさせられるのは、AIが人間を超えることはなくても、「人間が出来損ないのAI程度にしか物事を考えたり、他者を感じたりできなくってしまう可能性は否定しない」と言っていることです。

 

人間がAI化する未来。

 

これは恐ろしい未来予測です。

先日読んだ、宇田川先生の「企業変革のジレンマ」で紹介されていた、構造的無能化が起きる3要素のフレームワーク「断片化-不全化-表層化」を思い出しました。

 

ジレンマに対する処方箋として、「多義性-複雑性-自主性」のキーワードが提示されていますが、AIにはなく、人間だけに備わる価値に気づき、活かせるかどうか。

人間に与えられた可能性をいかに引き出していけるか。

 

AI時代にはそうした視点での競い合い、知的創造の競争が、これから益々重要になっていくのではないでしょうか。